
指を立てているのが特徴です。 特徴だけ見てください!!絵の評価は・・・
目次
空から降ってきた経典とは!!
善無畏三蔵は争いが嫌いなので、 指導力があるため選ばれたのに、王位を兄に譲り争いごとを避けました。
この記事では、 おおらかな人柄で呪術により人々を助けたの善無畏三蔵のことを記載しています。
善無畏三蔵は図像的には右手の指を立てています。
おはようございます。
私は仏教の大学で学び、今は仏教と書道を楽しく学んでいます。
スピリチュアルなことが好きな、聖佳と申します。
この記事が、あなたにとって有意義なものであれば幸いです。
■前回の記事はこちらから
13歳で王位を継承したが・・・ 出家を決意!
善無畏三蔵(シュバカラシンハ)は釈尊の叔父 (甘露飯王)をルーツとし、生まれながらにして神々しい雰囲気を持っていたと 伝えられています。
「シュバカラ」とは美しく清浄であるという意味があります。
そして善無畏は澄んだ瞳を持ち、おおらかでリーダーシップをとれる素質があったということです。
そのため兄がいるのに善無畏が13歳で王位を継承することになってしまいました。
案の定、兄など周囲からの嫉妬の波に翻弄されてしまいます。
王位をめぐる動乱が起きました。
今、現在の私たちにもいえることです。
嫉妬心からは、なにもいいものが見出せませんね。
妬みや人の悪口は絶対言ってはダメです。
その悪口は他人の口から、本人に伝わってしまいます。
そして、本人に伝わった時はさらに悪意に満ち溢れたものに変身しています。
怖い~~~(>_<)
善無畏は、絶体絶命の局面に立たされても、本来持っている奇跡的な強さを発揮しました。
善無畏の強さとは!
争いを好まなかった善無畏は、王族間での人間関係の歪みが深刻になる前に、王位を兄に譲って出家を決意しました。
善無畏さん、あなたは偉い流石です!!
善無畏の強さと器の大きさを感じますね。
「王位を捨てて出家」という共通の話が釈尊との深いつながりがあるように思います。
出家する時に、母(太后)から宝珠を授かると、南に進んだところの海辺まで行き、砂を集めて仏塔を建てるという気の遠くなるような修行を重ねました。
その後、仏教の中心地だったインドのナーランダー寺についた善無畏は、母から受け継いだ宝珠を仏像の額にはめて、新しい土地の人々の関心を集め存在感を示しました。
師の達磨掬多(だるまきくた) から中国に行くように告げられた
ナーランダーでは 学僧の達磨掬多に師事し、密教の真髄を学びました。
そして、密教行者として名声は自然に高まり力を発揮してきました。
数々の奇跡や功績が伝えられます。
中でも七俱胝仏母(しちぐていぶつも)を呼んで、攻めてくる賊を撤退させたり、壺に水をためて小刀でかきまぜ陀羅尼を唱え、龍をよび祈雨法で雨を降らせみんなを助けました。
呪術に秀でた能力が発揮できました。
※七俱胝仏母とは真言系の六観音の一つ
※六観音とは、聖観音・十一面観音・如意輪観音・馬頭観音・准胝観音(七俱胝仏母)・千手観音の6つです。
あるときには、古代王国ガンダーラの王が「大日経」の拝み方などについて善無畏にたずねました。
善無畏が塔に向かって祈ると、 空から「 大日経供養法」が降ってきました 。
天からこれを受け取って、すぐにいくつかの写本をあらわし、一つを国王に渡しました。
王は、現世利益の強いこの法をとても喜び国づくりに役立てました。
そして、 善無畏は師である達磨掬多から 「あなたに縁の深い地、中国に行きなさい」と告げられました。
なんと!!善無畏は80歳で長安に入る
空から経典が降ってきたのにも驚いたのですが、なんと80歳で中国に行ったのです。
716年に唐の都「長安」に入り、国師として迎えられました。
インドから持ってきた経典を中国語に翻訳しました。
最初に翻訳された『虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじほう)』は、日本にも伝えられました。
弘法大師空海さまは、大日経を真に理解したくて中国に渡っています 。
弘法大師空海さまは、この法を授かったことが仏道へ目を向けるきっかけになったといわれています。
「大日経第7巻」は大日経の 重要な部分がぎっしりと詰まっています。
生きたまま成仏し、衆生を救うための自在な願いを叶えられる方法について具体的に示しています。
善無畏三蔵は、密教の根本経典である『大日経』、またそれに付随する大日経系の経典を次々に翻訳しました。
まとめ
善無畏三蔵は天から降ってきた「大日経」を中国語に翻訳して伝え広めました。
この経典にはさとりとこころが本来一つであることを「空」の理論から説いています。
十のこころの状態によって段階的に究極のさとりに近づくという教えは弘法大師空海さまの『十住心論』のもとになるものです。
後に、8祖となる空海さんと、ここですでにつながっていたのですね。
そして、生きたまま成仏するということを空海さんは実践されたのでしょう。
縁とは本当に不思議なものです。
■次回の記事はこちらから
高僧、天文暦学者としても活躍した、真言高僧八祖(第6祖)一行阿闍梨とは
■前回の記事はこちらから
