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松下幸之助さんが語る弘法大師とは
この記事では、松下幸之助さんが弘法大師空海のことをどのように、語られたのか紹介しています。
おはようございます。
私は仏教の大学で学び、今は仏教と書道を楽しく学んでいます。
弘法大師空海さんに関係のある高野山・伊勢神宮の近隣のパワースポットを探して
パワーを頂いています。
スピリチュアルなことが好きな、聖佳と申します。
この記事があなたにとって、参考になりましたら幸いです。
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平成30年度 高野山学の開催 と霊宝館春季企画展 のお知らせ
「大師は弘法に奪われ、太閤は秀吉に奪われる」(ことわざ)
「大師は弘法に奪われ、太閤は秀吉に奪われる」とあるように、弘法大師空海は日本人がもっとも馴染みのある高僧ですね。
その為、私たちは普段、親しみを込めて「お大師さん」と呼んでいます。
しかし、大師というのは朝廷から高僧に与えられた称号で、実は弘法大師以外にも何人もいます。
だけど大師と言えば、弘法大師空海さんのイメージが強すぎて、一人占めというところですね。
それだけ慕われているということに間違いないということです。
そして「太閤さん」言えば、豊臣秀吉公ですね。
この「太閤」の敬称も何人もいますが、これまた仕方のないことで空海さんと同じです。
木下藤吉郎という百姓の子から出世して、天下人になり、太閤という敬称を独り占めですね。
凄いですね。
また、豊臣秀吉公も高野山にとても縁がある一人です。
人々に慕われてきたお大師さんですが、「経営の神様」と呼ばれた松下幸之助さんもお大師さんについて語っておられます 。
松下幸之助さん(パナソニック)と高野山の関係
高野山大学にはかつて松下幸之助さんが寄付された松下講堂がありました。
現在は建て直されて松下講堂黎明館となっています。
また金剛峯寺にも松下幸之助さんが寄付された茶室「真松庵」があり、高野山の西禅院は松下電機(パナソニック)の菩提寺で、奥の院への山道に墓所もあります。
西禅院(さいぜんいん)は壇上伽藍の裏手側に位置し、松下幸之助がこよなく愛した重森三玲作庭の枯山水の庭園が美しいので人気の高い宿坊です。
その松下幸之助が寄贈した石燈籠が庭園に置かれており、ここに長期滞在した時の茶室もそのまま残されています。
松下幸之助さんが弘法大師空海を語ったこととは
松下幸之助さんは必ずしも十分な教育を受けられたわけでもなく病弱で低学歴というハンデがありました。
それを乗り越えられて、一代で松下電器(パナソニック)を世界的な企業に創り上げられました。
「成功するためには、成功するまで続けることである」と言われています。
頭では当たり前のようにわかっていても、なかなかできないことですよね。
松下幸之助さんのとても強い信念が伺えますね。
「信念に生き切った人」と題して、その松下幸之助さんが弘法大師をた称えるた言葉があります。
「もう何十年も前に見た劇である。弘法大師、空海の努力によって、高野山に立派な七堂伽藍が築かれ、その法要が行われることになった。
ところがその直前に、伽藍が焼けてしまう。 弟子たちが右往左往して大慌てをする中で、空海だけは泰然自若としている。
そして焼け跡に弟子たちと共に腰掛け、『焼ける時には全てのものが焼けるのだ。
こういうところからこそ大きなヒントを得て向上することが大事なのだ』 という話をして、弟子たちを戒めるのである。
私は、この劇を見ていて、俗世感的権威を超えた弘法大師の偉大なひとつの、」、悟りという
ようなものを感じ、いたく感銘した。
そのことを今でも、私ははっきりと記憶している。そういうこともあって、私は弘法大師空海という人は、いかなる大事に臨んでも、泰然自若たるの信念に生き切った人であったに違いないと思うのである」
( 和歌森太郎編著『弘法大師空海』)より
松下幸之助さんの言うように、弘法大師空海さんは強い心、強い信念の持ち主であったに違いありません。
また別の文章で、同行二人の意味 について 「大師は今もなおここにおわすと感じること、また感じようとつとめるところに、大師の教えが永遠に生きてくることになる。
真理は永遠に生きるというのは、こんな姿を言うのであろうか」 このように語られています。
(「松下幸之助1日1話」PHP総合研究所)より
おわりに
企業のトップが、仏教のトップを讃え。
信念のある人が、信念のある人を讃えています。
活躍している場所は違っていても、お二人とも信念の強さは同じですね。
やはり、素晴らしいお二人ですね。
「信念」を貫き通した人こそ成功する!!
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