日本に広まった仏教の歴史

日本に広まった仏教の歴史

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お寺との関係が・・・

時代の移り変わりにより、人々とお寺の関係は薄くなってきています。

日本人である限り、ご先祖様から受け継いだ仏教精神を理解して、感受性豊かで、感

謝の心を忘れないようにしたいものです。

この記事で、仏教の歴史を紹介しています。

おはようございます。

私は仏教の大学で学び、今は仏教と書道を楽しく学んでいます。

弘法大師空海さんに関係のある高野山・伊勢神宮の近隣のパワースポットを探して

パワーを頂いています。

スピリチュアルなことが好きな、聖佳と申します。

私は高野山詣りに行った後、必ず良いことに遭遇します。

なので、高野山バンザイ\(^o^)/

あなたにとって、この記事が少しでも役立ことができればてば幸いです。

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高野七弁天物語⑦  圓山 弁財天(まるやまぜんざいてん)

仏教の歴史

紀元前5世紀頃

インド北部に生まれたゴータマ.シッダッダ(ブッダ)が悟りを開き、この真理を他の人

たちに伝える決心をして、サールナートというところで最初の説法をおこなった。

これが、 仏教という宗教のはじめの一歩でした。

ブッタは、サンガ(僧団)という組織を作り、約45年間にわたり教えを伝え続けました。

ブッタが亡くなった後、その教えは弟子たちによって「仏典」にまとめられました。

そして仏教は周りの国々に広がっていきました。

紀元前4世紀頃

インドの北のチベットや中国、日本に伝わった仏教は大乗仏教(だいじょうぶっきょう)

と 呼ばれました。

また、 南のミャンマーや タイへ伝わった仏教は、上座部仏教(じょうざぶぶっきょう)

と呼ばれ 、それぞれ独自の発展をしていきました。

ブッダの教えの解釈をめぐって、教団が上座部(じょうざぶ)と大衆部(だいしゅうぶ)

に分裂。

やはり、教団が大きくなると、まとまりにくくなるのですね(-_-;)

紀元前3世紀頃

上座部仏教がスリランカに伝わり、その後、ミャンマーや海など東南アジアの国々に伝わ

っていきました。

1世紀ごろ

「般若経」(はんにゃきょう)「法華教」(ほけきょう)「維摩経」(ゆいまきょう)

「無量寿経」(むりょうじゅきょう)「華厳経」(けごんきょう)などの大乗経典が次々

成立し、シルクロードを通って中国などに伝わっでいきました。

3世紀頃

中国で大乗仏教が盛んとなり、敦煌(とんこう)や洛陽(らくよう)に大きな石窟寺院

(せっくつじいん)作られました。

4世紀頃

中国から朝鮮半島に仏教が伝わっていきました 。

6世紀頃

朝鮮半島の百済(くだら) から、 日本に仏教が伝わる。

594年

推古天皇(すいこてんのう)によって仏教興隆(ぶっきょうこうりゅう) 詔(みことの

り)が発せられました。

※詔(みことのり)とは天皇の命令

615年

聖徳太子が「法華経」「維摩経」「勝鬘経」((しょうまんきょう)の三つの注釈書「三

経義疏」((さんぎょうぎしょ)を著し、この頃に奈良の法隆寺(ほうりゅうじ)が建て

られました。

645年

中国の唐の僧・玄奘 (げんじょう)がインドを旅して、多くの経典を唐の都(長安)に持ち帰

りました。

※僧の玄奘 (げんじょう)とは、中国の隋の時代に生まれ、唐の時代に活躍をした僧

「三蔵法師」の名前でよく知られています。

国内での仏教研究に限界を感じて27歳の時に出国をし、インドへ渡りました。

インド各地で勉強を重ね、仏像や経典657部を持って、 17年後に帰国。

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経典の翻訳に一生を捧げた人物です。

741年

国分寺(こくぶんじ)・国分尼寺建立((こくぶんにじこんりゅう)の詔が発せられました。

745年

行基(ぎょうき) が聖武天皇から大僧正 (だいそうじょう)をおくられる。

※大僧正とは僧の最高の位

行基(ぎょうき)は奈良時代の僧。

行基 は、各地に貯水池を掘り、道路や橋を作るなど、社会事業を行い「行基菩薩」と称えられ

ました。

752年

東大寺の大仏の開眼供養(かいげんくよう)が行われました 。

753年

唐の僧・鑑真(がんじん)が来日。

鑑真は奈良時代に唐から来日して仏教を伝えた僧。

鑑真は 日本からの留学僧の求めに応じて、日本へ来ることを決意。

船の難破などで5度渡航に失敗して、ついに盲目となりますが、6度目にようやく来日を果

たしました。

唐招提寺を立てて新しい戒律を広めた人物です。

805年

最澄が唐から帰国し、 天台宗(てんだいしゅう)を開く。

比叡山に延暦寺を建てた人物。

そして、朝廷からは「伝教大師」の名を おくられています。

806年

空海が唐から帰国し、真言宗(しんごんしゅう)を開く。

高野山に金剛峯寺を建てて真言宗の修行の場としました。

朝廷から「弘法大師」の名をおくられています。

1053年

平等院鳳凰堂(びょうどういんほうおうどう)が京都に建てられる。

1175年

法然(ほうねん)が浄土宗(じょうどしゅう)を開く。

「南無阿弥陀仏」という念仏を心を込めて称えれば、誰でも救われると説きました。

たくさんの武士や庶民に受け入れられました。

1191年

栄西(えいさい)が 宋から帰国して、鎌倉幕府の保護を受けて臨済宗(りんざいしゅ

う)を広める。

座禅によって悟りを開く禅です。

1224年

親鸞(しんらん)が「教行信証」(きょうぎょうしんしよう) を著す。

法然の弟子となって教えを受けます。

その後、 悪人こそ念仏によって救われると説き 浄土真宗を広めた人物。

1227年

道元(どうげん)が宋から帰国して、 曹洞宗(そうとうしゅう)を開く。

延暦寺で修行した後、宋に渡って禅を学び、悟りを開くための座禅ではなく、

坐禅そのものを目的とする曹洞宗を開いた人物。

1253年

日蓮(にちれん)が日蓮宗を開く。

鎌倉や京都のお寺、延暦寺や金剛峯寺など、数多くの寺で修行をして、

法華経こそが仏の真の教えであると 説いた人物。

1274年

一遍(いっぺん)が時宗(じしゅう)開く。

武士の家に生まれ浄土宗を学んで出家をしています。

踊りながら念仏を称える「おどり念仏」を広めた人物。

広く民衆に受け入れられました。

1671年

江戸幕府による寺請制度(てらうけせいど)ができる。

誰でも必ずどこかのお寺から寺請証文という身分証明書をもらうことが義務付けられ

た制度の事。

1868年

明治政府が出した神仏分離令により多くの寺院が被害を受けました。

神仏分離令とは、複雑に入り混じっていた神道と仏教をはっきり区別するように、明治政

府が出した命令です。

この命令の影響で、「廃仏毀釈」(はいぶつきしゃく)と呼ばれる仏教を排斥する運動が起こ

り、 全国の 寺院に古くから伝わっていた貴重な仏像が数多く壊されました。

1993年

法隆寺地域の仏教建造物がユネスコの世界文化遺産に登録されました。

※世界文化遺産とはユネスコ総会で、人類が共有すべき貴重な価値があると認められた文

化財のこと。

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高野山教報より5月の行事予定 、第34回高野山参詣登山開催と世界遺産高野参詣道トレッキングのお知らせ

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