壇上伽藍の西、愛宕谷の交差点脇、信号機のすぐ隣に建つ湯屋谷弁財天社。
広い敷地内には四季により様々な花が咲き、春には珍しいクリンソウなどが咲きます。
気持ち落ち着く、場所です。
広いので、冬にはミニスキーが楽しめそうですよ~(^_^)
弁天様に叱られてしまいそうですが・・・
この記事では、高野山の七弁天の一つ湯屋谷弁財天を紹介しています。
おはようございます。
私は仏教の大学で学び、今は仏教と書道を楽しく学んでいます。
弘法大師空海さんに関係のある高野山・伊勢神宮の近隣のパワースポットを探してパワーを頂いています。
スピリチュアルなことが好きな、聖佳と申します。
私は高野山詣りに行った後、必ず良いことに遭遇します。
なので、高野山バンザイ\(^o^)/
あなたが、高野山に訪れたとき、この記事が少しでもお役に立てれば幸いです。
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どっしりとした構えの存在感のある祠(湯屋谷弁財天)
八臂(はっぴ)で頭の上には翁神をのせている宇賀弁財天像です。
両脇には十五童子が付き添っています。
沢山の童子が祀られているのには驚きます。
扉には「享保2年7月吉日」とあり、1717年からこの弁天祠が存在するということがわかりますね。
湯屋谷弁財天の奥の木立は、深山隧道が開通する前には深山幽谷わ思わせるたたずまいだったそうです。
深山隧道が現在あるようなトンネルの形になったのは1965年。
山を切り通すことについては、その是非について色々意見があったそうです。
というのも、弁天小祠を繋ぐ形で、山には大きな蛇が寝そべっているという信仰や伝承があったので、蛇神の身体を切ってしまうようなことは 避けなければいけないという声があったということです。
利便性をとるか伝承 を残すべきかという問題があり、そんな中トンネルをつければ蛇の体を切ることにはならないとして一件落着をしたということです。
現在の湯屋谷弁天は、愛宕谷地区の奥にあったものを1906年に移して、さらに現在のお社は1975年に遷座されたものです。
湯屋谷という地名について
「湯屋」 とはそのまま「 風呂」の意味です。
高野山には「高野十谷」と呼ばれる数箇所の谷があります。
西院谷、南谷、谷上院谷、本中院谷、一心院谷、五之室谷、千手院谷、小田原谷、往生院谷、蓮華谷、かつてそれぞれの谷に地域の人たちが湯浴みをする沐浴施設があり、愛宕にもそれはあったとされ、今も湯屋谷弁天の呼び名に名残を残しています。
弁財天様はインドの川の神様なので、人々が体を清めるお風呂とも関係があるということなのでしょうね。
インドでは人々が川で禊をする光景が今でも見られますね。
インドの人は信仰心が強いですね。
サラスワティ(弁財天)の像お水につけたりするお祭りや儀礼などもあるようです。
湯屋谷弁財天のお祭りは毎年10月17日にあります。
住民が中心になって行う弁天講が今でも残っています。
宝亀院によるご法楽の後、餅まきが行われます。
弁天様は弁舌、音楽、技芸、学問など才覚を授けてくださる女神様です。
江戸時代には財宝神や福徳神として、庶民にも広く受け入れられ、ご利益を感じた人々から崇敬されるようになってたそうです。
まとめ
地名は、それなり理由があってつけられているというのがはっきり解りますね。
湯屋谷弁財天さまは、八つの腕にいろいろなものを持っていますので、いろいろなご利益が頂けそうです。
湯屋谷弁財天さまは、本通りにあります。
ガソリンスタンドのところの信号を見つけたら、すぐそこに弁財天の祠があります。
立ち寄ってみてください。きっと、ご利益がいただけると思いますヽ(^o^)丿
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