空海さまの歩いた正式なルート(道)とは?
弘法大師空海さまが歩いた道とは?
スタート地点は、慈尊院からになります。
この記事で紹介します。
こんにちは(^_^)
私は仏教の大学で学び、今は仏教と書道を楽しく学んでいます。
スピリチュアルなことが好きな、聖佳と申します。
弘法大師空海さまがアイディアを詰め込んで、仕掛けた高野山。
この記事で、空海さまの天才さと優しさが伝わるとうれしいです。
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空海さまの歩いた正式なルート(道)とは?
慈尊院の門の左側に石塔があります。
本当は3メートル以上の高さがあったということです。
その石塔には「下乗法務權僧正定海」と書いてあります。
その意味は、ここからは乗り物から降りて歩きなさいということです。
位の高い人でも歩くのです。
念願かなって高野山に来た、後宇多上皇(ごううだじょうこう)は初めて草履をはいたそうです。
「えっ!」そんな人が・・・正式なルートは20キロありますよ~大丈夫でしょうか?
正式な道は乗り物には乗れないのです。
上皇さん、歩けるのでしょうか?
慈尊院に入り、丹生官省符神社の階段を登ると何がある?

暗くて見えにくいですが、正面の階段です。
また石塔があります。
これを町石(ちょういし)といいます。
1町が約110メートルで、慈尊院のところは180町で、ここから出発となり壇上伽藍の根本大塔が「0町」になります。
という事は、高野山まで20キロあるということになります。
これは大変です!
初めて草履をはいたという後宇多上皇は大丈夫なのでしょうか?
やはり、途中で気絶してしまったそうです(>_<) なんてこった~(@_@)
当たり前ですね・・・(笑)(笑)(笑)
町石に驚きの事実・・・知らないと大損をする!

5町で大門の門を通って降りてきたところにあります。
町石は五輪塔と言われるもので、高野山には小さなものから大きなものまでたくさんの五輪塔があります。
町石の役目は、道しるべだけではなのです!
この時代(鎌倉時代)にモンゴルが日本を来襲して、国難の時でした。
この町石を建てながら、鎮護国家を願ったそうです。
町石は五輪塔と呼ばれるもので、全て石の形が違います。
下から準番に「地」「水」「火」「風」「空」となっています 。
四角いもの丸いもの三角なものいろいろな形があります。
五輪塔は死者を成仏させ、極楽浄土へ往生させるのが本来の意味といわれています。
即ち、大日如来のシンボルで仏さまそのものなのです。
これは大変です!
五輪塔は死者にとっても生きている私たちにとっても重要なものなのです。
なんだか、五輪塔の前を通るのが少し怖くなりましたが、考えてみると五輪塔の前を通るたび仏さまに守っていただいているということです。
ラッキーヽ(^o^)丿
まとめ
極楽浄土に行ける道とは、「慈尊院の180町」から始まって「壇上伽藍の根本大塔0町」までが極楽浄土に行ける道ということです。
これから20キロも歩くものにとっては、180町から1町ずつ減って行くというのは心軽くなり元気が出ますね。
大日如来様に守ってもらいながら、お詣りしながら、高野山を目指す仕掛けになっています。
私は、ますます高野山が好きになってきました。
高野山に参詣にくる人々に、空海さまからの心のこもった贈り物ですね。
慈尊院から高野山の0町までは約6時間かかるそうです。
時間のある時に挑戦してみては(^_^)
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