高野山の聖地と、周辺の見どころ女人堂(にょにんどう)

高野山の聖地と、周辺の見どころ女人堂(にょにんどう)

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仏教を鎮護国家の手段として位置づけていた古代の律令国家は、僧侶が女性と接触する機会を可能な限り制限しました。

僧侶が僧房に女性を宿泊させること、尼僧が尼房に男性を宿泊させること、を禁止していました。

違反したものは、何日間かの労役を強いられました。

鎮護国家の方針としては、男女のことで僧たちが修行できなかったりするのを、防ぐためだったと考えられます。

そのためできたのでしょうか?

女人禁制!

しかし、それだけではないようです。

そして、女性の参詣を守るために建立された女人堂。

この記事で詳しく解説をしています。

おはようございます(^_^)

私は仏教の大学で学び、今は仏教と書道を楽しく学んでいます。

スピリチュアルなことが好きな、聖佳と申します。

この記事では、女人堂のことについて解説しています。

ここは、壇上伽藍からは少し離れています。

たった一つ残った女人堂です。

■前回の記事はこちらから

高野山の聖地・壇上伽藍(東塔、智泉廟、勧学院、蓮池)

女人禁制の歴史を伝える「女人堂!」

かつて、高野山は女人禁制でした。

そのため高野山を訪れる女性のために建立されたのが女人堂です。

高野山で唯一、女性が参詣できた場所になります。

高野山をめぐる峰々には結界線が引かれ、女性はその中に入ることが許されていませんでした。

女人禁制は絶対であり、空海の母でさえ、結界内には入ることができなかった。

こんな伝承があります、空海の母親には息子が制止するのも聞かずに高野山参詣を強行したものの、地割れや火の雨や落石などの多様な問題に行く手を阻まれて、ついに登ることを断念しなければならなかった。

女性の立ち入りを拒んでいた仏教聖地は高野山だけではない!

しばしば高野山との対比で取り上げられる比叡山も「女人禁制」でした。

藤原道長(ふじわらのみちなが)や藤原頼道(ふじわらのよりみち)とともに平安時代中期を生きた、源経頼(みなもとのつねより)の日記に「左経記」(さけいき)があります。

この日記よると、一人の女性が比叡山山上の延暦寺の堂舎内にいるところを発見されました。

この女性は、延暦寺の僧侶たちによって「狂へる女」とみなされて比叡山からおいだされたということです。

厳しいですね。

さらに、奈良時代に聖武天皇(しょうむてんのう)の発願で建立された東大寺においても、大仏殿(だいぶつでん)は、「女人禁制」とされていました。

もう一つは山の神のことです。

山の神は、女性の接近を好みませんでした。

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日本民俗学では、山の神はかなり昔から、生と死とをつかさどる女神として理解されて来ました。

そして、嫉妬心のゆえに女性の入山を嫌う女神として理解されてきました。

そういうことからもあるのでしょうね。

女人禁制を望む山の神たち。

しかし、高野山に登ることを願っていた女性は、周囲の山を巡り、木々の間から見える伽藍に手を合わせて拝んでいました。

信仰心が強い女性が多いですね。頭が下がります。

高野山の七つの登り口に女人堂

だんだんと、女性の入山希望者が増えるにって宿泊所が必要となり、高野山の七つの登り口に女性のための女人堂が設けられました。

お堂には、多くの女性たちを見守ってきたのでしょう大日如来(だいにちにょらい)、弁財天(べんざいてん)神変大菩薩(じんぺんだいぼさつ)がまつられています。

お堂の前の小杉明神社に祀られているのは女人堂を築いた小杉という女性の神様です。

現在は、七つのお堂で最大だった不動坂口の女人堂を残して、ほかの六ヶ所は焼失してしまっています。

正式には一心院谷女人堂(いっしんいんだににょにんどう)といいます。

女人堂の向かいには、女性たちの参道だった女人道が残っています。

険しい道を歩き、御廟に向かって一心に祈念していたのが目に浮かびますね。

今では、ハイキングコースとして整備され、観光客の人気の場所になっています。

当時の女性たちは、高野山に入れないのは当たり前と考えていたのでしょうね。

現代の私たちの当たり前と、その当時の女性たちの当たり前、かなり違いますね。

女人禁制が解かれたのは、明治5年でした。

法然は女人禁制を批判した!

平安時代に阿弥陀(あみだ)信仰を中心とする新しい仏教を説きはじめた法然(ほうねん)は、自身の新仏教の優位性を説く「無量寿教釈」(むりょうじゅきょうしゃく)という著書のなかで、旧来からの仏教が女性たちの救いには力を注いでないのを、強く批判していました。

この法然の非難の主な根拠となったのが、高野山・比叡山・金峯山・東大寺大仏殿・崇福寺(すうふくじ)です。

東大寺大仏殿の建立に深く関わった光明皇后(こうみょうこうごう)でさえ立ち入ることができなかったのです。

崇福寺は天智天皇(てんじてんのう)によって建立されたものです。

もう一つの聖地「女人高野」

女人高野と呼ばれているのは室生寺(むろうじ)で奈良県の宇陀市にあります。

真言宗の山岳寺院です。

高野山が女人禁制を掲げて、空海との結縁を望む女性たちの入山を拒み続けたのに対して、空海が、仏舎利を埋めたとの伝承を持つ室生寺は、弘法大師空海を慕う女性たちとの参詣を積極的に受け入れていました。

信仰心の強い女性にとっては、室生寺は救いの寺院だったでしょうね。

御朱印を頂いてきました。

■次回の記事はこちらから

高野山の聖地と周辺の見どころ(親子の数奇な運命!)苅萱堂

■前回の記事はこちらから

高野山の聖地・壇上伽藍(東塔、智泉廟、勧学院、蓮池)

今日もあなたにとって、良い一日でありますように(^_^)

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