高野山の聖地、壇上伽藍を訪ねて(⑬根本大塔 ⑭対面桜 ⑮大塔の鐘)

高野山の聖地、壇上伽藍を訪ねて(⑬根本大塔 ⑭対面桜 ⑮大塔の鐘)

スポンサーリンク

真言密教の根本道場、桜の木、四番目の鐘、伝説と信仰

朱色鮮やかな根本道場は拝観させていただくと、曼荼羅を立体的に表現されているのがよくわかります。

そして平清盛を出世街道に乗せたきっかけをつくつた、対面桜、そして懐かしく優しい音色で山内に響きわたる大塔の鐘についてこの記事で紹介しています。

おはようございます。

仏教の大学で学び、今は仏教と書道を楽しく学んでいます。

とてもスピリチュアルなことが好きな聖佳と申します。

この記事では、立体曼荼羅の魅力と桜のエピソード、大塔の鐘の素晴らしさを記事にしました。

桜の木は私の経験上、見落とししやすいと思いますので気を付けてください。

■前回の記事はこちらから

高野山の聖地、檀上伽藍を訪ねて(⑩准胝堂 ⑪御影堂 ⑫三鈷の松)

⑬壇上伽藍の中心をなす象徴的な建物(根本大塔 )

快晴の日には丹塗りの朱色が空の青色にとてもよく映りさらにあでやかに見えます。

壇上伽藍に堂々とそびえる根本大塔の高さは約48.5メートル、四方はそれぞれ23.5メートルという巨大建築です。

どこからでも大塔はよく見えますが、間近なら迫力が肌で感じられます。

この大塔は、真言密教の根本道場におけるシンボルとして建立されたため根本大塔と呼ばれています。

真言密教を世に広めるため、空海が修禅の基盤として建立したものです。

日本初の多宝塔になります。

多宝塔とは下層が四角形で上層が円形スタイルの寺院のことをいいます 。

特徴がある建物ですね。

空海は入定までにこれを完成させることができませんでした 。

その意志は真然大徳(しんぜんだいとく)に引き継がれました。

816年から887年ごろに完成したと伝えられます。

期間をかけて建築されていますね。

994年の大火の後、1149年にも再び火災が起こり多くのものを失いました。

この根本大塔は記録に残るだけでも、落雷や火災で5回も消失してい ます。

そのたびに、時の権力者(平清盛)(豊臣秀吉)(徳川家康)そして、皇族や貴族が復興に力を貸してきました。

時の鳥羽上皇は平家の棟梁の平忠盛 (たいらのただもり)に大塔の修理奉行に命じました。

1156年に父の後を引き継いだ平清盛(たいらのきよもり)は大塔を再建しました。

そして新たに両界曼荼羅図(血曼荼羅)をつくり奉納したといわれています。

胎蔵界曼荼羅のほうには、一部の彩色に清盛の血が使われたと伝わっています。

これは、血曼荼羅と呼ばれ現在も高野山霊宝館に大切に保管されています。

拝見してきましたが、何とも言えないくらい重量感を感じました。

現在の大塔は、1937年に耐火性を考慮して、再建されたのか鉄筋コンクリート造りであります 。

塔内では立体的に視覚化した仏像群を見ることができます。

私は、目の前に現れる大きな立体曼陀羅に圧倒されてしまいました。

そして、色彩きらびやかで仏様の穏やかな表情が拝見できて良かったです。

中央に輝いているのが胎蔵界の大日如来で、その四方には金剛界の四仏(しぶつ)が取り囲み、さらに周囲を同じく金剛界の十六菩薩を描いた柱で囲んでいます。

16本の柱には堂本印象(どうもといんそう)画伯が描いた菩薩、四面の壁には密教を伝えた八祖 はっそ)像があります。

堂内そのものが立体の曼荼羅(まんだら)として構成されています。

仏画の世界へ吸い込まれてしまいました。

とても、見応えがあります。

これは金剛界と胎蔵界は根本的にはひとつであるという、空海の金胎不二(こんたいふじ)の思想を表したものですね。

御朱印いただいてきました。

⑭対面桜(たいめんざくら)で清盛、破格の出世!

平清盛の高野山参詣の伝説の話から始まります。

清盛が高野山の大塔を6年の歳月をかけて、やっと修築を終えました。

スポンサーリンク

そして、大塔の落慶法要に参加していたところ、何ともよい香りのする白髪の老僧が来ました。

その老僧は「次は厳島神社の修理を」との言葉を発し、それに加えて「悪行を行うと子孫まで願いが叶わない」といい残し姿が見えなくなった ということです。

空海が、感謝の気持ちを込めて現れたのでしょうか。

清盛と厳島神社を結びつけたのが高野山の大塔でのことでした。

後日、その老僧が空海だったと気付き、清盛が鳥羽上皇に話したところ、上皇は大変喜ばれて、さっそく厳島神社の 修理をするように命じられました。

もう一つ、熊野参詣の途中の伝説の話です。

熊野参詣の途中、鱸が清盛の船の中に飛び込むという珍事がありました。

先達の修験者がこのようにい言いました「昔、周の武王の船にも白魚が躍りこみました」これは熊野権現の神が姿を変えて現れているのに間違いないと 言いました。

その魚を召し上がってくださいと言われたので、調理をしてもらい頂いたところ、それからは、平家一族は吉事が続き、一門が繁栄するようになったとの話です。

大塔の修築から始まり、厳島神社の修理と熊野参詣の時でのエピソードが清盛の破格の出世に繋がったと伝えられています。

清盛は、武士として初めて太政大臣まで上りつめた人物です。

のちに娘の徳子が高倉天皇の妃になり、安徳天皇が誕生したことで天皇の外祖父として栄華を極めました。

また、日宋貿易を進め膨大な財を築き、高野山や厳島神社の復興に貢献しました。

平家は、熊野権現や厳島の神の加護があったと伝えられています。

現在、檀上の鐘楼堂近くにある桜は、清盛と弘法大師が対面したという話しにちなみ「対面桜」と呼ばれています。

この空海の出現がなければ、清盛はここまで出世できたでしょうか?
きっかけをつくってくれた空海に感謝ですね。

この桜の木は、中門を通ったらすぐ右側にあります。

見落としされませんようにしてくださいね。

平清盛は、この桜のところから飛躍的に出世をしたのですから、幸運を掴みたい人は、ここも見逃せませんね

桜には触ってはいけないですが、地面を触り何かを感じてください。

いいことが、訪れる事を信じて!

清盛のように、出世に繋がるかもしれませんね。

 ⑮大塔の鐘・高野四郎(こうやしろう)

大塔のを前に立つ、大きな屋根の鐘楼堂空海の願いにより、真然大徳の代に完成しました。

3度の火災で焼失しています。

現在のものは1547年に再建されたものです。

この銅鐘は直径2.12メートルで重さは約6トンもの重さがあります。

真っ白な柱は、神聖な感じがしました。

高野四郎という別名もあります。

この鐘の高野四郎の名前の由来は、「日本三大名鐘」の次で4番目に大きい鐘であることに由来して「高野四郎」と呼ばれています。

もう一つの呼び方は、根本大塔の側に建てられていますので「大塔の鐘」とも呼ばれています。

根本大塔の鮮やかな朱色は、お堂に引き込まれるような感じがしますが、大塔の鐘は鐘を鳴らす時だけを静かに待っているという感じがします。

鐘を突く時間は決まっていて、4時、13時、17時(夏場は18時)21時、23時です。

1日に5回、時を知らせます。

山内を響く鐘の音は心穏やかにしてくれます。

鐘の音が聞こえてきたら、しばらく耳を傾けてください。

なぜか、懐かしく心に響きます。

「日本三大名鐘」とは

  • 方広寺は、高さ4.12㍍、、口径2.227㍍、重さ82.7トン
  • 知恩院 の 大梵鐘は、高さ3.33㍍、口径2.8㍍、 重さ70トン
  • 東大寺 の大梵鐘は 高さ3.86㍍、口径2.76㍍、重さ26.4㌧

三大名鐘とは桁違いの大きさですが、大塔の鐘・高野四郎も頑張っています。

優しく、穏やかな、音色で遠くまで響き、時を知らせています。

■次回の記事はこちらから

高野山の聖地、壇上伽藍を訪ねて(⑯愛染堂⑰不動堂⑱大会堂

■前回の記事はこちらから

高野山の聖地、檀上伽藍を訪ねて(⑩准胝堂 ⑪御影堂 ⑫三鈷の松

小さな成功体験を忘れないで、

成功体験を励みにできる人が成功する。

今日もあなたにとって、良い一日になりますように(^_^)

スポンサーリンク