高野山の聖地、壇上伽藍をたずねて(③登天 の松と杓子の芝④六角経蔵⑤ 御社 )

高野山の聖地、壇上伽藍をたずねて(③登天 の松と杓子の芝④六角経蔵⑤ 御社 ⑥山王院 )

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壇上伽藍には、たくさんのお堂がありますので、見落とさないようにしたいですね。

そして、高野山では松の木、一本にもエピソードがあります。

「登天の松と杓子の芝」や「三鈷の松」に出会います。

伝説を思い出して高野山をより一層楽しんでみてください!

高野山には他にも「藤」や「桜の花」などにも数々の伝説が残されています。

興味深いエピソードがたくさんありますね。

それとともに、高野山はパワースポットもたくさんあります。

おはようございます。

私は仏教の大学で学び、今は仏教と書道を楽しく学んでいます。

聖佳と申します。

この記事では 「登天の松と杓子の芝」「六角経蔵」「御社」「山王院 」について詳しく解説します。

高野山を訪ねる時、高野山をより深く理解できるようになります。

■前回の記事はこちらから

奥之院と並ぶ高野山の聖地、壇上伽藍は真言密教修禅の場(①中門と②金堂)

壇上伽藍は、山上につくった曼荼羅の世界

③壇上伽藍の中の一つ「登天の松と杓子の芝」( とうてんのま
つとしゃくしのしば )

「登天の松と杓子の芝」は金堂の西側にある松の木がそうです。

1149年に壇上伽藍の北側に位置する明王院の僧、如法(にょほう)上人が、この松より弥勒菩薩の浄土へと昇天されたことから このようによばれるようになりました。

こんなエピソードです。

お昼の食事の用意をしていた弟子の小如法は、如法上人が登天するのを見て、あわててその後を追って昇天されたといわれています。

その時、小如法の手には杓子が握られており、昇天の途中にこの杓子が落ちてきたそうです。

当時はこの松の周辺には芝が生い茂り、そこへ杓子が墜ちてきたことから〈杓子の芝(しゃくしのしば)〉と呼ばれるようになりました。

高野山の木のエピソードには深いものがありますが・・・

なんというか・・・面白いですね。

空海が唐から投げた三鈷が松に引っかかっていたり、杓子が落ちてきたり 、如法上人がこの松から昇天されたとか・・・考えられないエピソードが盛りだくさんですね。

このようなことから、高野山は昔から人々に親しまれて、様々な伝承が受け継がれていると考えられますね。

写真を見てください。この松に登れば、天まで昇れそうな気がしませんか?

私は、登れそうな気がしてきました(^^♪

すみません(-_-;) 嘘を言ってしまいました。

体重オーバーで松の木に申し訳ないことが起きてしまいそうです。

④六角経蔵(ろっかくきょうぞう)

1159年に建立されました。

鳥羽法皇の皇后・美福門院(びふくもんいん)が、鳥羽法皇の菩提を弔うため、紺紙に金泥(きんでい)で浄写された一切経を納めるために建立された経蔵です。

この紺紙金泥一切経は、美福門院がその持費として紀州荒川(現在の那賀郡桃山町付近)の庄を寄進された事に由来して、荒川経とも呼ばれるようになりました。

したがって、この六角経蔵は、別名「荒川経蔵」といいます。

現在の建物は昭和9年(1934年)2月に再建されました。経蔵の※基壇(きだん)付近のところに把手がついており、回すことができるようになっています。

※基壇とは建造物の下の基礎になる石や土で築いた壇

この部分は回転するようにできており、一回りすれば一切経を一通り読誦した功徳が得るといわれています。

実際に回転しますので、高野山に行かれた時は体験してきてくださいね。

写真を見てください!今,回しています。きっと、驚かれると思います。

この経蔵に納められた紺紙金泥一切経は、重要文化財として霊宝館に収蔵されています。

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⑤高野山開創伝説に登場する地主の神々の御 社(みやしろ)

密教の聖地・高野山へ空海を導いた二柱の明神。

高野山で「明神さん」と呼ばれて親しまれている丹生明神と高野明神の二神。

空海は、聖地に伽藍を築くにあたり、この地を永く鎮護し、自身をそこへ導いた、神々への感謝と仏法守護の祈りを込めて御社を創建しました。

中門をくぐり抜けると、鮮やかな朱色の根本大塔が見えますが、その西側に、静寂な領域があります。

参道を進み、一対の狛犬の間を受けて朱の鳥居をくぐると、山王院(さんのういん)と呼ばれる拝殿が現われます。

その背後にあるのが高野山の氏神を祀る御社です。

高野山上に伽藍を建立するにあたって、空海はまず,鎮守としてこの御社を建立したといわれています。

御社は高野山開創から3年後の819年山麓の丹生都比売神社より※勧請(かんじょう)されたと伝えられ伽藍諸堂の中でも最古の創建とされています。

※勧請とは神仏の分霊を他の場所に移し祀ること。

3棟の社殿から構成される本殿は、向かって右側から一宮、二宮、三宮は総社と呼ばれ、それぞれ丹生明神、高野明神、十二王子・百二十伴神(じゅうにおうじ・びゃくにじゅうばん)が祀られています。

空海が伽藍の建立と修行の地を求めてさまよっていた時に大和国(奈良県)宇智郡で狩人らしき男(狩場明神の化身)に呼び止められました。

空海が「 密教を広めるためにふさわしい場所を念じて 、唐から投げた三鈷杵を探している」と話したところ、「それなら知っている」といい、自分の2匹の犬に道案内をさせました 。

犬たちに導かれ高野山にたどり着くと、このあたりを守る地主の神・丹生都比売大神からお告げがありました「私はこの山の王である。この山のすべてをあなたにさしあげましょう」と。

仏法だけでなく日本古来の神々をも大切にした、空海ならではの伝説ですね。

こうした開創伝説は「金剛峯寺建立修行縁起」や「今昔物語集」にも 描かれています。

神々の助力により高野山開創に至ったことへの感謝の気持ちを込めて参道正面上段に丹生高野明神社(今の丹生官省符神社)も創建 しました。

これ以降、二つの神社は、空海の神仏融合の精神を表す社として人々の信仰を集め続けています。

丹生、高野明神社の構造形式は春日造で、総社は三間社流見世棚造(さんげんしゃながれだなづくり)と呼ばれ、どちらも檜皮葺の屋根で仕上げられています。

現在の社殿は文禄3年(1594年)の再建で重要文化財に指定されています。

⑥山王院(さんのういん)

山王院は丹生明神を地主の神としています。

丹生明神は「山の神」を意味していますのでこのように名付けられました 。

山王院は御社の拝殿として建立された、両側面向拝付入母屋造り(りょうがわめんこうはいつきいりもやづくり)の建物で、桁行21.3メートル、梁間7.8メートルあります。

1521年に火事にあい、現在の建物は文禄3年(1594年)に再建されたものです。 重要文化財に指定されています。

屋根の葺き替えが20年に一回行われています。

このお堂では、毎年、旧暦の5月3日に竪精(りっせい)論議や旧暦6月10,11日に御最勝講(みさいしょうこう)などの重要行事や問答が行われます。

山王院竪精(さんのういんりっせい)とは明神さまの御前で僧がくり広げる密教問答です。

もともとは、堕落した高野山の僧に対する明神さまの怒りを鎮めるために行われるようになったものです。

山王院を舞台にして問者が出す密教に関する問いに対して、自身の考えを示す竪義(りゅうぎ)役の僧と、批判や指導を行う精義(せいぎ)役の僧との問答がくり広げられます。

問答は夕方から明け方まで続きます。

ろうそくの光の中で行われる、この密教問答は、高野山の僧にとっては、上位の職に昇格するために欠かせない儀礼の一つでもあります。

また毎月16日には明神(みょうじん)様への御法楽として、月次門徒・問講の法会が行われています。

「御社」の拝殿として山王院は建立されています。

■次回の記事はこちらから

高野山の聖地、檀上伽藍和訪ねて(⑦西塔 ⑧ 孔雀堂 ⑨逆差しの藤)

■前回の記事はこちらから

奥之院と並ぶ高野山の聖地、壇上伽藍は真言密教修禅の場(①中門と②金堂)

今日の一言

望みを持ちましょう。

でも望みは多すぎてはいけません。

モーツァルト

あなたにとって、良い一日でありますように(^_^)

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