空海が構想した高野山二大聖地の一つ壇上伽藍(中門と金堂)

奥之院と並ぶ高野山の聖地、壇上伽藍は真言密教修禅の場(①中門と②金堂)

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嵯峨天皇に願い出て高野山を開創しましたが、弘法大師空海が、この地を気に入ったのは周りを16の峰に囲まれて曼荼羅の世界を表すような地形であったということにあります。

そして、狩場明神に出会ったことですね。

高野山は1200年という歳月の中で何度も火災に遭い、お堂のほとんどが繰り返し失われてきましたが、その都度、僧や信仰のあつい人々の力で再建してきました。

この記事では、壇上伽藍のことについて詳しく紹介しています。

おはようございます。

私は仏教の大学で学び、今は仏教と書道を楽しく学んでいます。

聖佳と申します。

壇上伽藍にはたくさんのお堂がありますので、見落としされませんように、私なりに順を追って紹介させていただきます。

高野山、全体を見て参拝される順序としては、

[1]大門から (そばにお助け地蔵)があります。

[2]奥之院に行かれて

[3]金剛峯寺そして

[4]壇上伽藍にという順番がおすすめです

時間のない方は、奥之院に行かれてその後、金剛峯寺、壇上伽藍そして時間があれば大門とお助け地蔵という順番がいいと思います。

大門~奥之院は端から端になります。

作法としては奥之院を最初にお参りするのが順序らしいです。

なので、私は結界の大門から入り奥之院に行きます。

壇上伽藍はたくさんお堂やエピソードのある松などがあるので

見落としのないように記事に番号をつけましたので、

もし、よろしければ参考にしてください。

前回の記事はこちら

■前回の記事:

高野山を816年に開創した空海は、この総本山を金剛峯寺と名付けた

■高野山二大聖地の一つ 壇上伽藍

僧侶や信者でなくとも、高野山の巡礼に訪れる人は、弘法大師空海が 思いえがいた真言密教に触れたい、曼荼羅の世界を見てみたいと 訪れて来るのではないでしょうか?

弘法大師空海が最初に手掛けた地であり、壇上伽藍は奥の院とともに高野山の二大聖地と呼ばれています。

曼荼羅を簡単に説明すると、聖域や宇宙など、言葉で説明できない世界観を絵や図で表現してパッと見てわかるようにしたものです 。

つまり弘法大師空海は晩年、胎蔵界と金剛界という、密教でいう二つの代表的な曼荼羅を、いろいろな堂の配置によって具体的に実現しました 。

奥之院は金剛界曼荼羅を表現し、壇上は胎蔵界の曼荼羅を意味しています。

これにより、密教という難しいものを少しでもわかるように表現されました。

その結果、高野山の発展につながったのではないでしょうか。

819年に高野山の七里四方に結界を結び、伽藍の造営に着手

高野山に入った空海が真っ先に行ったのが、結界を設定することでした。

「七里結界」と呼ばれるもので高野山を中心に東西に七里、南北に七里の結界を張り、高野山の※四至(しいし)というものです

※四至(しいし)とは荘園や寺域などの東西南北の境界。

伽藍は古代インドで誕生した仏塔を中心とした僧房などの配置のことで、仏教の 伝来とともに日本でも広まリました。

奈良県飛鳥寺の伽藍形式は人の集まる都市部につくられたことから「平地伽藍」と呼ばれています。

それに対して空海が目指した伽藍は修行道場として、人里離れた場所に建立されたこともあり「山地伽藍」と呼ばれています。

伽藍配置の形式にもさまざまなものがあります。

飛鳥寺式・四天王寺式 ・川原寺式 ・法隆寺式 ・薬師寺式・東大寺式などが代表的なものです。

大きなお寺の場合、伽藍配置も念頭に置いて、お寺巡りをされても面白いですね。

835年に空海は奥の院に入定されたので、空海の遺志を継ぎ、伽藍の造営を進めたのが 、高野山第2世の 真然(しんぜん)です。

中門は819年創建され847年に完成!①

中門は、空海の弟子の実恵(じちえ)によって、立派な門がつくられました 。始めは鳥居程度のものでした。

大門が高野山の総門で、中門は伽藍の門といえますね。

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中門には、多聞天(たもんてん)(毘沙門天)(びしゃもんてん)、持国天(じこくてん)の二天像が表側に安置されています

門の中に入ると再び、びっくりです。

もう二天像、増長天(ぞうちょうてん)広目天(こうもくてん)が裏側にも安置されていました。四天王ですね。

四天王に圧倒されそこから、しばらく動けませんでした 。

四天王を何度も何度もみてしまいました 。

何かを伝えようとしているように思えました。

四天王とはどのような神様?

あなたも四天王から何かを感じとってみてください!

仏教はインドに発祥した宗教です 。

インドにはヒンドゥー教という宗教がります。

ヒンドゥー教は日本の神道とよく似た多神教で3339柱の神様がいます。

仏教が日本に伝来するとき、インドの神様も一緒に入ってきました 。

その中でも一番よく知られた神様は帝釈天(たいしゃくてん)です。

帝釈天はインドラという武勇の神様です。

そしてこの帝釈天の配下の武将が持国天・多聞天・増長天・広目天の四天王です。

帝釈天の配下である四天王はみな武将の姿をしています。

仏法とともに国家を守る神様であるからです。

中国風の甲冑を着た姿で邪鬼を踏んでいるのが特徴です。

上段の四天王が踏んでいる邪気です。

中門のサクの下ものぞいてみてください。 ちょっと、おもしろいです。

こんな感じになっています。どれだけの悪さをしたのでしょうか?

(東)を守るは持国天で宝珠と剣を持っています。

(西)を守るは広目天で筆と経巻 を持っています。

(南)を守るは増上天で鉾 を持っています。

(北)を守るは多聞天(毘沙門天)で宝棒と宝塔 を持っています。

中門をくぐり抜けていよいよ金堂(こんどう)に②

弘法大師空海が講堂として伽藍の中では最も早く建てた大切なものです 。

空海はここを修行の場、法要の場として重要な存在として位置づけました 。

現在でも、年中行事の大半が金堂で行われています。

この金堂は、何度も火災にあい7度も再建されました。
(1932年)昭和7年に完成しています。

金堂は※入母屋造り(いりもやづくり)の落ちついた建物で、本尊は高村光雲(たかむらこううん)作の薬師如来です。

(秘仏)として祀られています。

※入母屋造りとは屋根の形のことで書物を半ば開いたような形の屋根のこと。

そして内部の壁画は日本美術院の発展に貢献した木村武山(きむらぶざん)が2年余りを費やして描きあげたもので「釈迦成道驚覚開示の図」(しゃかじょうどうきょうがくかいじのず)
や「八供養菩薩像」(はっくようぼさつぞう)が整えられました。

木村武山手がけた華麗な色彩を堪能できます。

とても、気持ちが落ち着く場所です。

金堂の素晴らしい御朱印です。

■次の記事はこちら

高野山の聖地、壇上伽藍をたずねて(③登天 の松と杓子の芝④六角経蔵⑤ 御社 ⑥山王院 )

■前回の記事はこちら

高野山を816年に開創した空海は、この総本山を金剛峯寺と名付けた

今日の一言  (チャールズ・チャップリン)

人生には三つのものがあればいい。
希望と勇気とサムマネー。

(サムマネー)とはわずかなお金のことです。

今日も、あなたにとって良い一日でありますように(^_^)

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