密教に貪欲な空海の人物像
どれだけの僧にお世話になったのか?
仏の道を引き寄せる空海!
この記事で分かりやすく解説しています。
おはようございます。
私は仏教の大学を卒業して、仏教と書道を学んでいます。
聖佳と申します。
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目次
空海たちは長安の西明寺を訪ねる。
空海と橘逸勢はこの西明寺にお世話になります。
この西明寺は、玄奘(げんじょう)三蔵法師ゆかりのお寺になります。
空海は西明寺の円照(えんしょう)と仲良くなり経論など、いろいろなものを目にすることができました。
初めて西明寺を訪れた時にお世話になった、永忠(ようちゅう)に自分は密教を学びたい と相談しました。
永忠は、それには密教の生まれた天竺(てんじく)インドの言葉や思想を学ぶ必要があるとアドバイスしてくれました。
< 醴泉寺にて、天竺の言葉や思想をマスター>
そして、醴泉寺(れいせんじ)の般若三蔵と牟尼室利三蔵(むにしりさんぞう)、二人の天竺の僧を紹介していただけることになりました 。
この二人はインド出身の優れた僧でした 。
空海は、なんと人脈に恵まれているのでしょうか。
密教の道へと、どんどん吸い込まれていくことになります。
空海の語学力は、日本で基礎を積んでいるので、3カ月ぐらいの短い期間で梵語も天竺の思想もマスターしてしまいました。
※梵語(サンスクリット語)とは古代インドで、文章を表すときに使った言語です。
般若三蔵は自分で翻訳した経典や、集めたものを日本に持ち帰るように、空海に贈りました。
さらに、力をつけるため般若三蔵は、青龍寺の恵果阿闍梨(けいかあじゃり)が唐での密教の第一人者 であることを教えてくださいました 。
※阿闍梨(あじゃり)とは密教の秘法を弟子に伝えることのできる高僧のこと
<皇帝より「五筆和尚」の名を頂く>
ある日、宮中の書が痛んでいるので新たに書くように皇帝から依頼がありました。
皇帝の命により、空海は口、両手、両足、5本の筆を同時にとり、王羲之の書を書いたといわれているエピソードがります。
あまりにも素晴らしかったので、皇帝から五筆和尚の名を頂きました。
高野大師行状図画に「五筆和尚」と言われるようになった 様子が描かれています。
空海は「弘法、筆を択ばず」という諺があるように書の達人として広く知られています。
空海は草書を、もっとも得意としていました。
< ついに!恵果和尚と運命的な出会い>
805年、空海は青龍寺を訪ねる。
高野大師行状図画に「師・恵果」という絵があります。
恵果和尚は空海と初対面にもかかわらず、「まもなく私の寿命は尽きる。
あなたのことをずっと待っていた。私の密教を託すのにふさわしい人材は、空海、あなただ」といって、密教のすべてを教え託すことを伝えました。
次の日から灌頂(かんじょう)を授ける準備を始めました。
※灌頂とは頭に水をそそぐという意味の言葉で法を正式に伝える儀式です。
恵果なぜこんなに急いでいるのか?
この数年前に、病にかかりそれからは体調が悪かったため 、早く優秀なお弟子さんに伝えたかったのでしょう。
やっと空海に巡り合えたので、急いで伝えることにしたのです。
空海も恵果の様子を聞いていたので、会えただけで感激をしていました。
恵果も命のある限り、精いっぱい空海に伝授したい、と願っていました。
空海も一生懸命学ぶことを決意しました。
<熱田神宮に 、弘法大師の植えた楠の木>
昨日は、熱田神宮に行ってきました。
伊勢神宮につぐ格式高い宮として、多くの人々から崇敬されている神宮です。
熱田神宮の大楠は、手水舎から本殿に向かってすぐのところにあります。
この大楠は弘法大師空海が植えたそうです。
そんなこと知らずに訪れたのに、空海さんとのご縁がまたありました 。
それは、それは立派で圧倒される大楠です。
木についた緑の苔がさらに風格を出していました。
大楠は7本あって、この大楠は3番目の大きさのようですが、迫力がありました。
この大楠の中に蛇がいるのを見つけたら、凄い幸運が来るそうですが、滅多にお目にかかれないようです。
いい季節に行かれたら、蛇が見られるかもしれませんね。
あなたに、特にご紹介したかったのが 「お清水さま」というのがあり その湧き水をすくって石塔に3度水をかけて祈念すると、願いが叶うそうです。
そして、その湧水をお肌につけると美肌になるそうです。
いいですね、とてもいいパワースポットでした。
是非、訪れてみてください。
今日の一言
あなたの将来を、楽しく想像してみましよう。
思い描いたことが、現実になります。
今日も一日、あなたにとって良い日でありますように(^_^)
次の記事では【師との別れあり!】について、分かりやすく解説していきます。
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