空海達は、唐に着いたのに、なぜ上陸できないのか?
どんな不手際があったのか?
空海の強力スーパーパワーは発揮できるのでしょうか。
この記事でわかりやすく解明していきます 。
おはようございます。
私は仏教の大学を卒業して、仏教と書道を学んでいます。
聖佳と申します。
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■前回の記事:空海、留学僧として唐に行く!
唐の役人に海賊や漂流者に間違えられる!
嵐に遭遇した船は、帆は破れ命からがらで赤岸鎮に やっとたどり着いた状態なので、海賊や漂流者に間違えられてしまったのでしょう。
おまけに、嵐で国書を失った為、信用されませんでした。
役人にひどい扱いを受けることになってしまいます。
<空海の書状で入国許可!>
国書も他の証明書も持っていなかったので、上陸の許可がされませんでした。
空海は書状を出してみましょうと提案しました。
遣唐大使の藤原葛野麻呂が長官にあてて書状を送りましたが、取り合ってもらえませんでした。
次に空海は大使に代わって、自分の裁量で書状を書きました。
この時の文書は「性霊集(しょうりょうしゅう)」の中に残っています。
州庁の長官は空海の中国語の力や文章の力に驚き、海賊などがこんなに書けるはずがないと、正式な使者であることを認めました。
※ 州庁とは、州を治めるための役所のことです。
高野大師行状図画の「空海の書」に描かれています。
遣唐大使に代わり空海が書を提出しています。
空海の書の力が発揮された場面でもありますね。
この時、藤原葛野麻呂はどんな気持だったでしょうか?
少し気の毒に思いますね。
プライドが傷ついたことでしょうね。
しかしそんなことは言ってられません。
入国するためには、空海のスーパーパワーが必要でした。
やはり、並外れた頭脳がありましたね。
<一行は長安に向かう>
高野大師行状図画の 「長安入城」に描かれています 。
唐の都・長安へ向います。
皇帝より、美しく飾られた23頭の馬が派遣されて、それに乗り長安をめざしました。
凄い好待遇ですね。
空海達は、半年あまりに及んだ旅を終えやっと長安に到着しました。
立派な城門を見てやる気が出てきました 。
第2船の一行と合流して、徳宗皇帝にお目にかかり、厚いもてなしを受けました。
長安は、その当時 唐文化や仏教、密教も盛んでした。
世界の大都市として、シルクロード経由の珍しい品々が沢山ありました。
空海たちは宿舎として官宅が提供され、ここでしばらく暮すことになります。
一年間、遣唐使の使命を果たした大使一行は帰国するため長安を出発しました。
<留学僧の空海たちは20年間勉学>
空海達はこれから20年間、長安で勉学に励まなければならない決まりになっています 。
気が遠くなるほどの、年月ですね。
空海の大好きな 密教の研究等が本格的に始められるのです 。
残った空海たちは、長安市内の西明寺(さいみょうじ)というお寺を訪ねました。
そこに、永忠がいました。
久々に日本語を耳にして、懐かしんでいました。
永忠は、日本から30年間も留学していた僧です。
空海達と入れ入れ替わり日本に帰れることになります。
永忠は、のちに空海を補佐して活躍していく人物です。
空海と橘逸勢はこの西明寺にお世話になります。
今日の一言
「ありがとう」をたくさん言うと、きっといいことがあります。
今日も、一日あなたにとって良い日でありますように(^_^)
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