強運の持ち主、空海達が遣唐使船4隻で唐に行く!

空海が留学僧として、遣唐使船4隻で唐に行く!【804年7月(31歳)】

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スーパー・パワーを持った超人、空海さん!

今度はどんな試練が待っているのでしょうか?

この記事で分かりやすく解説しています。

こんにちは

私は仏教の大学を卒業して、仏教と書道を学んでいます。

聖佳と申します。

前回の記事を読みたい方はこちらをどうぞ。
■前回の記事:空海は遣唐使船に乗るため修行とは?

空海、遣唐使船で留学僧として大役を任せられる!

<空海に幸運が訪れる>

空海に起きた幸運とは、803年に難波の港から出港した船が瀬戸内海で嵐に遭遇して遭難してしまいました。

そのため、804年に再び遣唐使船が出港することになったのです。

なんと運がいいのでしょう!

空海は、留学僧として選ばれたのです。

強運の持ち主、空海!

唐で日本のためにいろいろなことを吸収して持ち帰るという仕事です。

期間は20年間とかなり長いですね 。

現代社会のように、めまぐるしく変化していると、20年間も日本にいないと、帰って来た時には、すっかり浦島太郎状態ですね。

高層ビルなどがどんどん建てられ、山はどんどん削られ、自然がなくなり団地などがそこに建てられたりしています。

人口が減少しているというのに、需要と供給の関係は大丈夫なのか?

空き家問題は、解決しているのか、心配なります。

山がなくなっていくから、野生の動物たちが食べ物に困り、人間の生活圏内に入り込んで来るのです。

この事は、人間側だけが困っているというものではないですね。

野生動物たちも困っているのです。

テレビのニュースで、野生動物を退治していますが、共生できる方法はないのでしょうか心が痛みます。

話がそれましたので、空海の幸運を引き寄せるスーパーパワーに戻ります。

空海は、桓武天皇の勅命により遣唐使船に乗る一団に加わりました。

この時代は平安時代になります。

<804年5月12日、4隻の船団で 難波を出港 !>

15回目の遣唐使船の出港となります。

この時空海は大使の藤原葛野麻呂 (ふじわのらかどのまろ)や副士の石川道益(いしかわみちます)留学生の橘逸勢(たちばなのはやなり)と第1船に乗りました。

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第2船には、最澄(さいちょう)が乗っています。

後に天台宗の開祖となります。

まず瀬戸内海を西に進みました。

そして、遣唐使船は肥前田浦(長崎県)で食料などの荷物を積み、7月6日 唐の明州(みんしゅう)を目指しました。

<命をかけた航海>

順調に進んでいるかのように思いましたが、田浦を出港して間もなく船は嵐に遭遇してしまいました。

嵐に遭遇してからは、転覆してしまうという心配と覚悟をしたそうです。

その当時の航海はそれほど厳しかったのですね。

船の構造に問題があり、遣唐使船は「箱が浮いているような船」と例えられたりしています

防水技術がなかった事で浸水しやすかったりして、命がけの航海でした。

空海は大日如来に我々を守ってほしいと 祈り続けました。

4隻のうち唐に到着できたのは2隻だけでした。

残りの船は漂流して、第3船は漂流して筑紫(福岡県)にたどり着き、第4船は行方は分からなくなったということです。

最澄たちが乗る第2船は長江にたどり着きました。

空海たちはというと、8月10日に福州の赤岸鎮(せきがんちん)に漂着しました。

1か月以上かけて、やっと着きました。

今では考えられませんね。

荒波にもまれることなく、飛行機で東京から北京まで4時間ぐらいで行きます。

時代の流れを感じます。

歴史を学ぶことで、今の時代がありがたいと思えますね。

<次の試練が待っていた!>

命懸けでやっと着いたのに、嵐で国書を失ってしまったため、遣唐使という証明ができませんでした

空海たちはどうなっていくのでしょうか?

空海の強運スーパーパワーが発揮できるのでしょうか?

今日の一言

笑顔、笑うことは 成功へとつながります!

今日も、あなたにとって良い一日になりますように(^_^)

次の記事では【なぜ、唐に着いたのに上陸できないのか?】について、分かりやすく解説していきます。

■次の記事はこちら

密教を学ぶため唐につくが、上陸ができないのはなぜ?

■前回の記事はこちら

空海は遣唐使船に乗るため修行を積む!

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