空海は遣唐使船に乗るために修行を積む!

空海は遣唐使船に乗るために修行を積む!【803年(30歳)】チャンスが・・・

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危険を冒してまで、遣唐使船を出港させる理由?

遣唐使ってどのような人が行ったのでしょうか?

空海の希望は叶うのでしょうか?

ドキドキ、ワクワク、ですね。

この記事でわかりやすく解説しています。

おはようございます。

私は仏教の大学を卒業して、仏教と書道を学んでいます。

聖佳と申します。

前回の記事を読みたい方はこちらをどうぞ

■前回の記事:空海の神秘体験とは?

思いが募る密教を求めて修行!

仏様が、真実の仏教を知りたければ、密教を学びなさい!

夢の中で、お告げがありました。

それを実現するために、師を探す旅へ!

<奈良の大安寺で密教の教えを!  >

大安寺は奈良県奈良市にあります。
奈良時代から平安時代にかけてたいへん栄えたそうです。

大安寺では 、多くの僧が仏教を学んでいました。

大安寺には、勤操(ごんぞう)という高僧がいましたので、空海は勤操に教えを請いたいと願いました。

しかし、勤操は密教のことは詳しくないという事でした。

勤操は、密教を学びたいのなら遣唐使船に乗って留学僧として唐に渡り学ぶことを勧めました。

大安寺には、唐の僧がたくさんいるので唐の言葉を覚えるのには最適だから、ここにいて修行を積めばよいと言われました。

唐の僧たちと修行ができることになりました。

空海は、勤勉であることはもちろんですが、強運の持ち主でもありますね。

空海は、唐の言葉を通訳ができる位しゃべれるようになりました。

<唐に行く役割は>

唐に行く役割は、中国との外交、情報収集や中国との人脈つくり、政治や進んだ文化を学び持ち帰るために派遣されました。

日本から持って行った献上品より、持ち帰った品々のほうが多かったようです。

当時の中国経済は力強く文化も優れ魅力あるものでした。

遣唐使は630年から894年までありましたが、遭難したり、中止になったり、着いたところで殺害されたり、それは大変なものでした。

<唐に行く為にしなければいけないこと>

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唐に行くのには、遣唐使船に乗らなければならなかったのです。

この船に乗るためには官僧として国に公認してもらわなくてはなりません。

留学僧になるためには、得度(とくど)しておかないと、行くことができません。

※ 留学僧とは海外に留まって学問や技術を学んでくる人。
※ 得度とは国に認められて、正式な僧になること。

空海は東大寺戒壇院で具足戒(ぐそくかい)を受け正式に僧になりました。

国に認められて 出家した官僧は国家が管理します。

官僧になると、国の僧籍簿に登録されて、国費で生活が賄えることができました。

空海は幸運なことに唐に行く準備が着々と進んでいました。

中国語も通訳ができるほどに上達していました。
さらに、サンスクリット語も身につけていました。

サンスクリット語は唐招提寺の中国僧から教えてもらっていたと考えられます。

あとは、チャンスが来るのを待つだけです 。

< 遣唐使で有名な人は?>

遣唐使に選ばれるのは、原則五位以上の貴族で、身分が高く教養や語学力のあるエリート達が選ばれたようです。

※五位とは国が与えた位の事で一位~九位まであり、またその中で細かく上下の区別がありました。

  • 犬上御田鍬(いぬがみのみたすき)は大和王権の中級官吏であり外交官です。
    最初に遣唐使に選ばれた人になります。
  • 鑑真(がんじん)は唐の僧で苦難の末、失明しながらも日本に到着して 、日本で唐招提寺を建てた人です。そして、日本の仏教の発展に力を注ぎました。
  • 空海(くうかい)唐に行った後帰国し、真言宗を広めた人です。
  • 最澄(さいちょう)唐に行った後帰国し、天台宗を広めた人です。
    空海のライバルになります。
  • 阿倍仲麻呂(あべのなかまろ) 唐に行って、唐の皇帝に気に入られて、唐で一生を終えた人で、官吏登用試験に合格した唯一の日本人。
  • 山上憶良(やまのうえのおくら)は歌人で漢文に非常に詳しく、文学的素養に優れている人

などの人達が選ばれています。

<遣唐使船が出発する為、留学生と留僧生を募集>

803年、難波の港から出発するが、この時には空海は加えてもらえません
でしたた。
空海はとてもガッカリしました。
なぜかというと、この制度は20年に1回しかチャンスがなかったからです。

この時は、藤原葛野麻呂(ふじわらのかどのまろ)を大使とする遣唐使船が難波の港から出港しました。

空海のライバル最澄も加わっていました。

この遣唐使船は、瀬戸内海で嵐に会い遭難してしまい、何人か亡くなってしまいました。

なぜこのように遭難が多かったかというと、船の構造に問題があり、竜骨を持たない平底の船だった事で少しでも波が高いと転覆してしまいます。
気密性のない甲板であった事で、浸水しやすかったということです。

更に、現代のような高度な気象予測ができなかったため、嵐に出会うことが多くあったということです。

空海は、いつ遣唐使として海を渡ることができるのでしょうか?

今日も、良い一日でありますように(^_^)

次の記事では【空海が留学僧としてように行ける日が来ました】について、
分かりやすく解説していきます。

■次の記事はこちら

空海、留学僧として唐に行く!

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空海の神秘体験とは?
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(準備中)

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