弘法大師(空海)国学から都の大学へ

弘法大師(空海)国学から都の大学へ入学する【791年(18歳)】出世コースへ

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ここでは、空海はせっかく合格した大学をなぜ辞めたのか?

新しい教えとの出会いとはなにか?

を解説しています。

おはようございます。

私は仏教の大学を卒業して、仏教と書道を学んでいます。

聖佳と申します。

前回の記事を読みたい方はこちらをどうぞ。
■前回の記事:少年期(真魚 )の生活ぶりとは?

念願の大学に「合格」(18歳)

当時の大学は国の機関で、都に設置され、身分の高い貴族の子弟のみが入学を許可された。

讃岐国の郡市の子の空海は、本当は国学で学ぶしか方法はなかったのです。

大学を受験できたのは、叔父の推薦による特例ではないかといわれています。

どの時代でも、特例という事はあるのですね。

18歳 になった空海は、中央の役人を養成する大学の明経科へ入学し、勉学に励みます。

明経科に進んだのは、父親の願いをかなえたいと思っていたからでした。

空海は、親を思う心が一途で強かったのでしょうね

<大学での勉強とは>

大学での空海は、岡田牛養(おかだのうしかい)や味酒浄成(うまざけのきよなり)教師 から講議を受けました。

  • 春秋左氏伝→春秋時代の歴史
  • 毛詩→中国最古の詩集で民謡、朝廷音楽など。
  • 尚書→儒家の理想的な政治を述べた経典。
  • 儀式のときなどに演奏される雅楽。
  • 陰陽道、天文、歴述。
  • 算道
  • 医学、薬学。
  • 法律の仕組み。
  • 儒教の経典などにより律令制度を学ぶ
  • 中国の歴史や文章の勉強 など。

大学での勉強は丸暗記しなければいけないものが多く厳しいものでした。

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<空海の迷い>

また都が移されることになり工事が始まりました。

以前にも、都を奈良から山城(京都府)の長岡に移したばかりでした。

空海は国学で勉強していたころ、目にしたことを思い出しました。

都づくりのために、平民たちを家族から離し、厳しく働かせていたことをです。

空海がそれを見て、心痛めていました。

空海も身分制度にうんざりしていました。

どんなに一生懸命勉強しても、下級官史にしかなれないのです。

この頃から、大学での勉強についても疑問を持ち始めました。

勉強といえば、書物を丸暗記することばかりでした。

この頃、大学を休むことが多くなりました。

<修行者との運命的な出会い>

こんな時、一人の修行者に出会いました。

修行者は、大学での勉強は何もならないといいました。

空海は、みんな幸せに暮らせる政治をしたいと修行者にいいましたが、修行者はそれは無理だといいました。

身分の高い家柄ではないから政治を変えるほど出世できない。

この時空海が不安に思っていることを、的確に指摘されてしまいました。

政治では世の人を救うことはできない !

救う方法を知りたければ、仏教の真言を100万回唱えなさいといわれました。

仏教を何度か唱えているうちに気持ちが、どんどん晴れてきました。

空海は、自分が探し求めていたものは仏教だと気がつきました。

仏教に関心を持って、研究を始めました。

ここから修業への道へと進みます 。
あなたにとって、良い一日になりますように(^_^)

次の記事では【大学を辞めて!仏教の道へ】について、
分かりやすく解説していきます。

■次の記事はこちら 真魚から空海に変貌、仏教の道へ!大学を辞める

■前回の記事はこちら :少年期(真魚 )の生活ぶりとは、叔父に儒学を学ぶ

■空海の歴史のすべての記事の目次はこちら
(準備中)

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