弘法大師(空海の)少年期(真魚 )の生活ぶりと将来の目標

少年期(真魚 )の生活ぶりとは、叔父に儒学を学ぶ【788年(15歳)】

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真魚少年の生活ぶりはどうだったのでしょうか?

小さいころから、優秀だったので、一族の期待の星でした。

どれだけの勉強をしていたのでしようか?

今の子供たちと比べてみたら?

この記事で、わかりやすく解説しています。

おはようございます。

私は仏教の大学を卒業して、仏教と書道を学んでいます。

聖佳と申します。

前回の記事を読みたい方はこちらをどうぞ。
■前回の記事:空海の誕生

一族の期待の星 「空海」

真魚が生まれた佐伯氏の家は、善通寺があるところであるといわれている。

寺の名前は、父の名前の善通からとられたものです。
生家は寺を管理する仕事についていたそうです。

真魚は、身近に仏教に接する環境の中で育ちました

空海は、生まれる前から、仏の道に進む環境だったのです。

今も昔も、その人の生活環境により、人生がある程度決まってしまいますね

<真魚(空海)は貴物と呼ばれていた>

両親は空海のことを「貴物(とうともの)」呼んでいました。

両親の願いは、しっかり学問をさせて都の役人として出世してもらいたいというものでした。

そして、むかし勢力の強かった佐伯家を 取り戻したいと願っていました

勉学のできる聡明な真魚少年は、両親の期待を受け母の兄である阿刀大足(あとのおおたり)に頼んで勉強をみてもらうことにしました。

<真魚(空海)は叔父に学問を学ぶ【785年12歳】>

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少年時代の師匠は叔父の阿刀大足になります。

12歳頃から「論語(ろんご)」、「孝教(こうきょう)」などの教育を受けていたそうです。
※「論語」→中国・春秋時代の思想家である孔子と、その弟子たちとの問答を集録した書。

※ 「孝教」→戦国時代に成立したとされている国を治める根本である道について述べられている者

真魚は叔父から多くのことを学びました。

<役人になるために大学への道>

真魚少年は、都の役人になるには、どうすればよいのか叔父にたずねました。

叔父は役人になりたければ、大学に行き学ばなければならないと助言。

※ここでいう大学とは、都にある、朝廷の役人を養成するための学校です。

しかし、大学には身分の高い貴族の子でなければ入ることができないのです。

真魚の身分では、入ることができないと聞き、困ってしまいました。

叔父が国学に入っていい成績を収めれば、大学への入学を許可されることもあると、教えてくれました。

真魚は讃岐(現在の坂出市)の国学に入り一生懸命に勉強しました。

国学は国ごとに置かれている学校です。

国学では儒学や医学、政治についても学びました。

※儒学→中国の孔子が開いた世の中に秩序をつけるための学問です。
人の間に上下関係があることも学びます。

真魚は勉強の中で都のことを聞き都に行ってみたいと思うようになりました。

この時叔父は、伊予親王(桓武天皇の息子)の侍講(じこう)になることが決まって都のいくことになりました。。

※侍講とは皇族の教育係のことです。

多度津の港(現在の神奈川県仲多度郡多度津町)から出発です。

叔父は真魚に国学を卒業したら都へ行き大学に入ることをすすめました

空海の少年期は両親や一族の期待を一身に受けて、育ちました。

あなたにとって、いい日でありますように(^_^)

次の記事では【空海、国学から都の大学へ】について、
分かりやすく解説していきます。

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(準備中)

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